Past
ありし日の遠州灘
平川典俊
Noritoshi Hirakawa
奇跡の祈り。
2011年3月11日を軸に、世界は日常を維持することが実は奇跡であることを知るようになった。日本列島は脆弱な大地の上に立ちまた同時に、制度が作った不可能の神話の象徴である原子力発電所に囲まれ、現実にはどの瞬間にも日常の延長が想像の上での絶対でしかないことを認識するようになった。
東京から南西にわずか二百キロにも満たないところに位置する遠州灘に拡がる日常の風景が、奇跡の連続によってかろうじて成立していることを多くの人間が今理解し、制度が不可能の神話を認識しない限りその奇跡が永遠に続くことを祈るしかなくなっている。
今日の、私たちの身体とともにある意識の存在の明日への継続は、あくまでもはかないこの世の想像の上で認識するしかない。だから「ありし日の遠州灘」という2007年に制作した作品を通して特にこの瞬間にも、浜岡原発の操業を停止させようとしない中部電力の狂気の意志によって生き続けることになっている。
奇跡の祈り、それだけがほんとうに私たちに残された未来への選択肢なのだろうか?
平川典俊
2011年3月27日
profile
平川 典俊 Noritoshi Hirakawa
1960年福岡県生れ。1993年よりニューヨーク在住。大学で応用社会学を学び、フィールドワークとして20か国以上をまわる。1988年以降、世界各地の美術関係者と会い、直接自分の考え方を説明し、作品の発表の場を探しながら文化的差異がもたらす認識やそれぞれの文化での社会と各自己の関わり方をテーマにアーティスト活動を開始。これまで数々の写真作品を美術館で発表している。(ポンピドーセンター、フランクフルト近代美術館、チューリッヒ・クンストハーレ、ニューヨークPS1美術館、セゾン美術館、横浜美術館他)